ALS FRIENDS JAPAN

iPS細胞などによる新薬治療など、最新医療を遅延なく受けれるよう働き掛ける為に作成したページです

ALS患者の声

患者とその家族の体験談・生の声です

Sさん 兵庫県在住 ALS(筋委縮性側索硬化症)病気の遍歴~「妻のため、2人の子供のために」~

2008年6月 ALS(筋委縮性側索硬化症)の診断を受ける

2005年11月に結婚して翌年夏ごろから右手に力が入らなくなったり、指がつるようになり、病院で診察してもらうと首のヘルニアと
診断される。

07年に長男誕生、右手の脱力がだんだん強くなり、箸が使えなくなったり、字が書けなくなったりで、左手で箸を使ったり、
字を書いたりする。

08年に入って左手も力が入らなくなる

さすがにおかしいと思い、5月ごろに篠山市の整形外科を受診するけど、首のヘルニアではない他の病気の可能性があると、
三田市の兵庫中央病院の脳神経内科の受診を勧められる。

6月に同病院を受診して検査入院後にALSと診断される。

8月にセカンドオピニオンで京都大学医学部付属病院で検査入院し、同じくALSと診断される。

ALSと診断されてから1ヶ月くらいは家に引きこもってたけど、父親から、引きこもってても体力、筋力が落ちていく一方やからと、
父親の農業を手伝うようにとアドバイスされます。
このころに京都大学の山中教授がiPS細胞を発見する。

この年の秋から八鹿病院の脳神経内科の近藤先生を主治医として通院し始める。
僕も妻も前向きに生きようと思い、2人目の子供を作ろうと決意する。

09年6月ごろから、妻が関節リウマチを発症する。

8月に長女誕生。

10年10月ごろから、訪問看護ステーションに入浴介助などをお世話になりヘルパーさんに食事介助などをお世話になり始めます。

11年春ごろから足の筋力も落ちてきて歩くのも危なくなってくる。 築50年くらいの段差だらけの家に住んでいたので、
バリアフリーの家に新築する。

12年に入ってから、歩く事が出来なくなる。

7月に風邪をひき気管支炎になり入院。肺炎に悪化し、気管切開し人工呼吸器をつけ、胃ろうも造る。

9月末に退院して、在宅で生活を始め現在に至る。

Sさんのブログ
ALSの僕と妻と2匹のリトルプリティモンスターとの冒険の物語~。





Tさん 兵庫県在住 2010年9月 ALS(筋委縮性側索硬化症)の30代男性Sさん担当の訪問看護師になる

2010年9月 ALS患者30代男性Sさん担当の訪問看護師になりました。

当時Sさんは、両腕に力が入らなかったので、日常生活に不自由があり、一人で介護していた奥さんの負担軽減の為に、
訪問看護が開始しました。

Sさんの暮らす地域は、少子高齢化、過疎地、介護力不足、看護師不足、医療危機などの問題はありますが、自然や人が
とても素晴らしい所です。

Sさんご夫婦には幼いお子様が2人いて、子供を可愛がる姿にも好感が持て、多くの試練が待ち受けているけど幸せになって
欲しいなぁ・・と思いました。
なので、私の看護目標は、『Sさんが、家族と幸せな在宅療養生活を送る』こと、でした。

でも、その当たり前のような目標を達成することが、医療的知識、ケアの技術、環境整備、介護力、看護力、社会的、精神的にも、
とてつもなく難しいことは、予測できました。

24時間介護サービスが存在しない地域で、家族の介護力にも限界がある中で、実現できる保証のない理想・・を、目標に掲げました。

あれから3年が経ち、現在のSさんは・・

1年前に気管切開されて人工呼吸器を利用することになり、24時間の介護が必要な状態になりました。
奥さんと、3人の専属ヘルパーと、2人の他事業所ヘルパーで、24時間の介護体制を維持しながら、この1年間、ご家族一緒の生活が
実現できています。
私は訪問看護ステーションを辞め、必然的にSさんの専属ヘルパーの一人になりました。

この3年間、Sさんの病状は、止めたくても止まりませんでした。予防に良いと思われることをやってもやっても、進んでいきました。
なので、失った機能に変わるものを探し集め、情報を得て、制度を使って・・時には自分たちで作って対応してきました。
一番作るのが難しかったのは、24時間介護体制でしょうか・・(^^;)
市内で24時間の介護体制を持っているのは、現在Sさんだけだと思われます。

2年前に、Sさんが人工呼吸器を装着するかどうか、主治医に決断を迫られた時、家で生活する為の人材確保ができるかどうかの保証は、
何もありませんでした。
でも、Sさんは「装着する」と意思表示しました。

家で生活したいALSの人が、「サポート体制はないけど、人工呼吸器をつける?どうする?」という状態で決断するのは、
本人にとってはつける決断も勇気がいるだろうし、サポートが無いからという理由でつけない選択をされたら、私が我満できなかったと
思います。
後で、Sさんに人工呼吸器をつけようと決めた理由を聞くと、「何とかなるやろ」って思ったとのこと。

あくまで、Sさんのケースですが、本当に何とかなったなぁ・・と思いました。
でも、そこには、「生きたい」という本人の強い気持ちがあったことが、何より大事な条件だったと思います。

今からの私の支援の目標は・・
『治療が受けられる日に備えて、体調を万全にしておくこと。』
『快適で、充実した日常生活を過ごしてもらうこと。』

充実した日常は、研ぎ澄まされた五感で満たすこともできるでしょうし、自己実現の為の支援になるかもしれません。
Sさんの手足となるヘルパーを育てることでもあるし、日々のケアを上達させることでもあります。

支援している私からSさんにずっと望んでいることは、「諦めないでほしい、妥協しないでほしい」ことですが、おそらくALS患者さんに
関わる多くの人は、 同じ気持ちなのではないでしょうか?

より良く生きようとするALSの方をサポートをしていると、自分も生き方を考えさせられたり、学んだり、強くなれたりしてしまうので。
私は、良いチャンスを与えられたと思っています。

辛いこともいっぱいありますが・・嬉しいこともありました。
これからもそうかもしれませんが、ALSの方と関わる人が広く繋がって支え会えるといいですね。



Mさん 愛知県在住 2011年 ALS(筋委縮性側索硬化症)の診断を受ける

主人がALS患者です。

2011年1月、右手に違和感を感じ受診しました。
色々、検査をして2011年6月に多巣性運動ニューロパチーと診断されました。
そして、ほぼ毎月入院して治療を受けましたが、良くなるどころか歩行障害も出始めどんどん悪くなっていました。

違う病院を紹介され、大学病院なので仕方ないかもしれませんが、予約や受診をするのに1カ月以上またされました。
その間にも進行がとても早く、自宅の階段が上がれなくなったり、すぐに疲れてしまい歩行困難になりました。
もしかするとALSかも・・・。とネットで調べれば調べるほど、不安や恐怖で眠れませんでした。

そして、2011年12月末、ALSの診断を受けました。
正直、主人も私もなかなか病気を受け入れられませんでした。でも、なんとか病気の進行を遅らせようと
必死に調べ治験を申し込もうとしましたが、進行が早すぎて条件に合わず諦めました。
それでも諦めきれず、2012年2月、自己負担でエダラボンを試しました。

進行が遅くなるのを願っていたのですが、翌3月、突然、呼吸困難になってしまい意識も薄れ緊急処置。
あまりに急な出来事で、私も体中の震えが止まらなかったのを覚えています。そして、気管切開して人工呼吸器をつけました。

これで、少しは落ち着くと思っていましたが、進行は止まらず、嚥下障害がでてきました。
2012年11月に胃ろう造設しました。

主人は、進行がとても早く病気を受け入れないうちにあっという間に、ここまできました。
大好きな子供たちと、話すことも、外出することも、お風呂に入ることも・・・。大好きなサッカーを
することも、手足を動かすことすら・・・。そして、大好きなご飯を食べることも・・・。
次々できなくなってしまいます。

そんな辛い日々の中でも、良いこともありました。病気の事を知って、主人の友達がたくさんお見舞いに来てくれます。
小、中、高校、大学、そして会社の友達、県内、県外からも。10年ぶり、20年ぶりという方も大勢います。
病気になっていなかったら、会うこともなかったかも知れません。
あらためて、主人のすごさを感じてしまいました。

主人も私も、半年先、1年先、2年先の状態が想像できません。
正直、不安です。怖いです。
でも、私は必ず治療法ができると信じています。その日が1日でも早くきてほしいと毎日毎日思ってます。

今は、つらいことも多いですが、耐えています。耐えて、耐えて、いつか家族みんなで笑える日が来ると信じて
…。



Kさん 大阪府在住 2012年 ALS(筋委縮性側索硬化症)の診断を受ける

2012年8月、主人は都内の病院で筋委縮性側索硬化症の診断を受けました。

その年の5月から体の異常を訴えており、病院を転々とした果ての診断でした。

指の震え、ピクつき、歩行障害などが出始めた5月頃から、もしかするとALSではないか、と一抹の不安を抱えていましたが、
10万人に2~3人の病気です。まさかそんなはずは、という思いの方が強く、告知を受けてもなかなか病気を受け入れることが
出来ませんでした。

告知は酷いものでした。主人には内緒で事前に医師から病名を訊いていましたので、医師に「主人に病名は伏せておいて欲しい」と
お願いをしていました。
ところが、医師はあっけらかんと主人に病名を告げ、入院をするように指示しました。
「入院をすればもっと詳しい検査をして下さるのですか?」と訊くと、筋電図とMRI、所見だけで間違いないので何もしない、
自分より上席の医師がいるので、みんなに診てもらいご意見を伺うだけ、と答えました。
難病中の難病、癌よりも過酷な疾患といわれるALSなのに突き放されるような告知を受け、心も体もズタズタになりそうでした。

それからというものALSについて調べつくし、様々な治療を試しました。
エダラボン、メチコバール、脂肪幹細胞移植、オゾン療法、鍼灸等です。
どれも劇的な効果はないですが、主人は進行が遅い方だと言われています。

治療法がない中でも、様々な治療を試すことでたくさんの出会いがありました。 そういった温かい人たちとの交流により、
徐々に私達夫婦の心にも余裕が生まれてきました。
元通りの生活とまではいかないですが、楽しい時は楽しく笑う事が出来るようになりました。

そして、何よりも希望を抱く事が出来たのは、山中教授のiPS細胞のおかげです。
創薬と再生医療が出来るまでは、主人を絶対に死なせない、
何が何でも生きてもう一度息子を抱きかかえて欲しい、
その為にはどんなことでもしようと固く決意しました。

その後他院での検査で、神経根の肥厚、神経伝達速度の異常、抗ガングリオンド抗体の陽性反応など、ALSでは通常見られない結果が
出ました。
そのことから免疫グロブリン治療を定期的に行っていますが、症状は進行を続けています。
ALSの亜流ではないか、というのが今の医師の診断です。

ALSなのかCIDPなのか、MMなのか、今となっては正直どうでも良くなりました。
結局どこまで行っても分からないですし、一喜一憂するのが辛いのです。
そんなことよりも、一分一秒でも予後を長くし、未来に繋げる事。
ただそれだけに毎日を生きています。

ALSは静かに、そして徐々に徐々に、体の機能を奪っていきます。
今日出来た事が明日出来ないかも知れない、
3ヶ月後には歩けないかも知れない、
その先は呼吸困難が襲って来るかも知れない、
毎日そんな不安と闘いながら、傍で寄り添う事しか出来ない自分が情けなく、代われるものなら代わってあげたいと何度も願いました。

きっと他の患者さんのご家族も同じ気持ちだと思います。

ALSと診断を受けた時から主人も私も死は覚悟しています。
けれどもやれることはやり尽くしてから、最後の審判を受けたい、今はもうその一心だけなのです

Kさんのブログ
乙吏依の日記~ALS奮闘の日々




河田 哲郎大阪府在住2011年11月 ALS(筋委縮性側索硬化症)の診断を受ける

2000年~
~月日々、筋トレをする(体脂肪9パーセント)

 

2007年
3月スカイダイビングを始める

 

2009年
~月釘(錆びてない)が足に刺さり、一週間歩けなくなる。親知らず抜く時、手際が悪く頭痛になる
  (ALS発症との因果関係がないか疑問視してる。あくまでも私的な意見です)

 

2010年

2月足の疲労を感じるようになる(年のせい?)

7月右足首の違和感、歩行時スリッパがぬげるなどの自覚症状がでる(下垂足)

11月奈良の病院で診察。MRIの結果、軽度の腰椎椎間板ヘルニアと診断

12月セカンドで別病院を診察。腰椎椎間板ヘルニアと診断され、レーザー手術をする

 

2011年
2月症状が改善しないため別の病院を診察。そこでは腰椎椎間板ヘルニアは確認できるが軽度すぎて神経に触れてないため、
  足の症状との因果関係は認められないとのこと(誤診) MRIの結果、胸髄髄外腫瘍と診断

  一週間後紹介状を持ち大阪の大学病院へ診察。 腫瘍はみあたらないとのこと(誤診)

4月大学病院、脳神経外科にて検査入院の結果、胸椎の脊髄ヘルニアとの診断

6月全身の筋肉がピクツキはじめる(ネットでALSを知る)
  脳神経外科から神経内科へ運動ニューロン疾患の疑いで検査入院

6月診断結果はでず、経過観察

10月東北大学病院にセカンドオピニオンで診察。 ALSと矛盾する 点はないといわれる

11月大阪の大学病院にてALS確定診断がおりる

12月千葉県の吉野神経内科を診察。 エダラボン投与開始

 

2012年
6月歩行困難になり車椅子(短距離は松葉杖歩行)

8月ニューヨーク コロンビア大学のエレノア&ルー・ゲーリックMDA/ALS神経筋センターにて
  Dr.MITSUMOTOの診察

9月京都大学 iPS細胞研究所に細胞提供をする(血液)

11月上肢の筋力低下を感じる(握力 左30 右40)

 

2013年
2月 エダラボン投与終了

3月 イスラエルのハダッサ・メディカルセンターにてDr.GOTKINE MARCの診察

5月 喋ること、食べることの違和感、首の筋力低下を感じる

6月 何度か誤嚥し食材を小さめにカットする(寿司一貫を半分に)

7月 肺活量低下、たまに酸欠になる。上肢の筋力低下(握力 左5 右8)

8月 iMERに紹介される

9月 一人での食事が困難になる

10月 何度か誤嚥し食材を小さめにカットする(寿司一貫を三分割に)

11月 ALS FRIENDS JAPAN サイトを立ち上げる。

   胃潰瘍になる。

12月 食事困難な為、胃ろう増設。入院期間10日。


2014年
1月  トイレ中、呼吸困難になり救急車で搬送。

    数日後、気管切開手術をする。入院期間約1ヵ月。

    ALSドラマ「僕のいた時間」始まる。

5月  喉の痛みで検査入院。カニューレが原因。入院期間10日。

6月  株式投資(デイトレード)を始める。

8月  全米でALSアイスバケツチャレンジが始まる。

   ALS FRIENDS JAPANが週刊SPAに掲載される。







2015年
4月  ホームページリニューアル